生きるか死ぬか
哲学
「人はなぜ生きるのか」という問いは紀元前からのもので、それに挑んだのがゼノンやらキェルケゴールやらパスカルたち哲学者です。
例えばゼノンだと"積極的に人生に関与することが人生の意味である。それは働くことや、人生の欲求を満たすことも含まれる"という主張(と解釈されている)をしていました。
ただそれは自らの内の破壊的な感情、衝動、振る舞いを理性と判断によって克服するという "自律"ができることが前提です。
またキェルケゴールの主張だと、簡単に言えば
"人生で何を成したいのか、そしてそこにどんな意味を見出すのか"
ということになります。
「生きる意味」「生きる目的」(キェルケゴールの主張とほとんど同じですね)なんていうものは人によって変わりますし、それらが見つけられないという人もたくさんいます。
ここで言いたいのは「そもそも意味とか目的を考えながら生きる必要ある?」ってことです。
既に○○のために生きるという人はそれに命をかければいいです。
「生きる意味がわかんなーーい」と言っている人たちは考えれば生きる意味が見えてくるのでしょうか?まさか。
一旦そんな難しいことを考えるのはやめて"自分のしたいように"してみましょう。勧めるのもどうかと思いますが"多少"は人に迷惑をかけてもいいと思います。
参考程度に生きる意味が分からないと悩んでいた私が変われた考え方
最近自死について思うところがあります。自死は本当にいけないことなのかな、と。自分の中でモヤモヤしてて何がモヤモヤしてるのかもわかんないんですけど。"いいこと"と"悪いこと"がわからなくなっている気がする。
悪いことをすると関係の無い第三者が責めてくる社会とても気持ち悪いと思います。