自分のこととインターネットのこと
禁止されるとしたくなる。
きっとみんなそう
今日は色々書くんですけど気持ちの整理がついてないし文章が支離滅裂になっていたら許してください。
僕は性善説だと思っているので人はみないい人だと思っています。元は...。
だから最後まで人を信じたいし何回もチャンスを与えてしまいます。
「これが最後のチャンス」もう何回言ったかも覚えていません。
何回「最後のチャンス」で約束したことを破られても、ほかの人に悪く言われていても信用している人だけは信じたいし守りたいと思っています。これは恋人に限った話ではないです。
よく「もっと自分を大切にした方がいいよ」と言われるのですが、僕の中では
人が幸せになること>>>自分のこと
なので自分が傷ついても相手が幸せになったり正しい道に進んでいけたらそこで満足。帳消し、どころか満足感を感じてしまいます。これが「自分を大切にしろ」と言われている原因なのは嫌も承知なんですけどなかなか変えられない。
自分が変えられないことでちょっとやそっとじゃ変わらないのはわかっているはずなのに人を助けたいと思うのは間違っているのでしょうか?
次に人の悪性について。
僕は人の性格、行動、発言は99%育った環境で決まると思っています。
例えば同じ「親が甘やかして育ててきた人間」でも周りの人間がわがままを叱るとそれがいけないことだと知ることができますが、周りの人間が叱らないとわがままを言ってても本人にはそれが当たり前になります。
インターネットでも同じです。インターネット、ここではSNSの話をしますが何が悪いことをした人がいたとして絶対に"絶対"に許してくれる人がいます。慰めてくれる人がいます。
その人と仲が良いから無条件に肯定してるのかも知れませんし、そもそも善悪の基準が違う人なのかもしれません。はたまた全く興味関心がない人。
無反応は「許し」でしょう?
現実における無関心、無視というのとネットの無関心は必ずしも一致しません。
冷ややかな視線とか咎める空気を感じられないというのはインターネットというものの短所だろうと思います。
誰一人として否定、批判をしないということは悪くないことなんだと思う気持ちもわかります。インターネットですら雰囲気を感じてしまう人間は稀でしょう。
仕方ないんです。
初めに書いた通り僕は性善説なのでその人は悪いと思いません。ただ悪いことを悪いと教えなかった「周りの人間」が一番悪いと思っています。
悪いことを教えなかった人間が悪いと人を見下しているわけです。自分が全く正しい生き方をしているかのように。
誰か僕を救ってくれ。
「ボロクソ言ってんのに何故か僕に懐かれてる」と言っていた人がいました。
その人は僕に度々「それはお前が間違ってんだよバーーーーカ」と言います。
ちゃんと僕が間違っている時はちゃんと怒ってくれます。本当にありがたいです。尊敬してるので嫌われたくないです。
話が逸れました。
自分の生き方とか考え方とかが歪なのは分かっているつもりなんです。でも他の人と何が違うのかわからない。教えてくれる人がいない。叱ってくれる人がいない(さっきいると言いましたが話の流れ上いないことにさせてください)。
それはたぶん何よりも悲しいことです。
尊敬できる人を見つけましょう。男女関係を求める場じゃないぞSNSは。出会い系を使え出会い系を。
ここまで書いた時親に
「ここ数日の間、時間が止まってるのは病気なんだから治療しなさい」
と言われました。
育ちがいいとか悪いとか関係なく本当に気を付けないといけないのは
「理解をしない」ってこと
という話。
p.s
一回書き終わって編集してたらデータが吹き飛びました。下書きはこまめに取りましょう。書き直したせいでちょっと内容が変わってます。不服